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   ********* ガンバレ闘病OBのみなさんへ *********
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 2011年1月30日東京医労連OB会便り第8号* 2

2011年1月 東京医労連OB会新年のメッセージ <敬称略>

<日赤・武蔵野病院労組 大川ひろ子>
=1年間故障しないで無事仕事をして行きたい=

 明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。抱負と云ってもこれと云うものもありませんが、「故障などしないで、1年間無事に勤めて、高齢者の方々に役立ちたい」ことです。昨年は夏から、腰痛で思うように動けず、「こんなはずではない」とあせることが多いとしでした。「歳相応?に合った仕事の工夫もしながら」、要介護者の要求に応えられるよう、頑張って行きたいと思っています。
昨年、NHK記者・蔵端さんの講演−「無縁社会」を聞く機会がありました。約3年間の取材期間に3万人の人が孤独死したそうです。「行旅死亡人」と云うのは行き倒れと云う意味だそうです。始めて知りましたがこうはなりたくないものです。しかし、これは特別な人がなると言うのではなく、今の世の中がそうさせているとの、講師のお話しでした。全くその通りだと思いました。介護現場で高齢者に関わっている立場から見ても、ヘルパーさんが関わっていなかったら、危なかったこともたびたびあります。介護保険を利用出来ている人はまだ幸せです。政府の介護保険改悪計画はとんでもありません。もっともっと改善こそしなければなりません。「これってケアマネの仕事?」と思うこともたびたびありますが、切実な実情にふれるとツイツイやってしまいます。これでは、当分やめられそうもありませんネ。マア〜文句を言いながらも、元気に1年を過ごせるよう頑張って行きたいと思っています。又皆さんにお会いした時は、愚痴をこぼすかもしれませんが、よろしくお願いします。


<日赤医療センター 笠原 紀子>
  =健康に気をつけて、うた声や平和運動を続けて行きます=

 明けましておめでとうございます。今年も新たな年を元気に迎えることが出来るるようです。昨2010年はさまざまな記念の年でしたネ。韓国強制併合100年、安保改訂50年、そして核不拡散(NPT)条約再検討会議等々。大きな流れの中で見ると平和の運動が前進しました。一方、普天間問題の公約やぶりや北朝鮮パッシング・・・等々、日米両政府の世界の流れに逆行し、後退させようとする日米両政府の企みには怒りを覚えます。しかし日本原水協を中心とした700署名、そして沖縄、徳之島など各地の運動には本当に励まされます。
私も微力ながら、平和の歌をうたいながら地域から原水協・平和運動、医労連の署名など続けていきたいと思っています。その為にも健康第一を心かけて………。2011年も皆さんと一緒に元気で過ごしていきたいと思います。よろしくお願いします。


<全医労東京地区 小嶋正雄>
=33年の専従生活にピリオドを打ちました。これからもよろしくお願いします=

 この1月1日より、文字通りのOB会メンバーとなりました。よろしくお願い致します。全医労関信の財政難により地区書記を全廃する方針が昨年の定期大会で確認され、昨年8月に神奈川、長野、そして12月いっぱいで東京での廃止となり、このたび退職しました。労働者を支え、社会を変える力になりたいと25歳で専従となり33年努めることが出来ました。関係者の皆さま、長い間のご協力ありがとうございました。年齢は58歳と3ヶ月なので、早期退職による「若さ」を有効活用して、年金支給年齢である60歳まで、有意義な生活を送りたいと考えています。とはいっても、雇用保険をもらうためには、長期旅行もままならず、早朝の新聞配達も請け負いましたので大変です。雇用保険が切れれば、全くの無収入になるので先のことも考えています。現在、電気士の資格に挑戦しています。危険物やボイラー(1級)の資格も取りました。テキストに載っている家庭の電気配線図を見ていると、仮に収入にはならなくても、有用な知識が身につくなと思っています。今はルートやサイン、コサインなどでのベクトル計算をやっていますが、パズル感覚で楽しいです。電気士の次は老後に備えて、ヘルパーの資格を取ろうと思っています。
  ハローワークに行って驚きましたが、若い人が圧倒的に多いことに驚かされました。50代後半以上の様相の人はごくわすがで、30代40代が圧倒的です。それなりに考えさせられます。OBの皆さんとおつきあいできるようになるのが楽しみです。


<飛鳥労組 番場 真理子>
 =雪国・新潟でも元気でやっています〜大雪の新潟五泉市から=

 毎日寒い日が続いていますが皆さまにはお元気でしょうか。私は夫の田舎−新潟に越して2年近くになります(2009年4月〜)。 こちらではボランティア中心の生活をしています。近くの特養ホームで週3回傾聴をしていますが、「あの番場が人の話を聴くなんて出来るはずがないよ・・・」と、皆さんきっと驚いているでしょうね。皆さんの知っている番場とはかなり違って来ましたヨ。63歳の熟女として大きく成長しましたよ。体重もね。保守王国といわれる茨城県で議員やライオンズクラブ、商工会の会長などしていた父が昨年11月に死去しました。考え方の違う娘の存在は父にとって不名誉だったらしく、「親の顔に泥をぬるようなことをして・・」と言われていました。そんな父が晩年は「今の政治は間違っているよ」と理解をしめしてくれていました。
 若い頃、青年団の指導をしていた父が“♪しあわせはみんなの願い♪”と良くうたっていたことを時々思い出します。早くそんな世の中がくるよう、暮らしと福祉を守る運動を!政治を変えるため、ウグイスとして、今年も美声を発揮して頑張りたいと思っています。3月に国立でお会い出来ることを楽しみにしてま〜す