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2009年9月14日御嶽山荘にて
第2回の東京医労連OB会を開催。(報告文こちら、 写真集こちら)
<感想文集>

=OB会第2回総会参加者の感想
  59年前の解雇闘争時を昨日のように思い出しました=

 第2回総会の会場に思いでの場所「御岳山荘」に選んでいたたぎ、古泉さんをはじめ世話人の皆さんに感謝。「看護闘争・・」の講演での私がかかわった結核予防会労組解雇闘争のスライド映写にはビックリ。私は復職でき、その後の都医協(東京医労連の前身)結成につながり30有余年、医療労働運動の厳しい時期を宇田川さん(都医協書記長)や小坂さん(予防会労組専従書記)たちと共に乗り越えてきた事を昨日のように思い出しました。二次会も大変楽しく交流でき、この日の「一泊二日」は、高齢期の良さ思い出として、私の人生の記録に書き込みました。
(結核予防会労組・塚越謙吉)

=OB会総会〜ハイキングまで、ありがとうございました=

 昨年はOB会結成総会に参加出来ず残念でした。今年は労働学校で通った懐かしい御岳山荘での第2回総会・懇親会の案内にわくわくして出席しました。現役時代は組合員を乗せて車で通っていた。今回は立川駅で待ち合わせ、初めて電車を乗り継いでの参加だったが無事到着できた。山頂ケーブル駅には山荘から迎えがあり、急な坂道を楽々と遊園地気分で山荘に。懐かしい先輩や、ナースウェーブで闘ったメンバーとの再会を、田中千恵子さんの講演「看護闘争のその後」は「今の組合員は知らないが、OBは興奮する歴史」のサブタイトル付き。医労連の闘いの懐かしいシーンがスクリーンに映し出され、現在の闘いの到達状況やこれからの課題など田中さんの話はわかりやすく胸のすくものでした。参加したそれぞれは自分自身や家族の闘病、介護を抱えている人も少なくなく、よく闘い頑ったあの頃の仲間に会い語り合えることが心身共にリフレッシュして今を生きるエネルギーになっているなあと感じました。ハイキングでは、多摩川の流れ、草花・景色も良く、川ではボートのアトラクション有りで、酒、おにぎりを美味しくいただきき、面倒見の良い仲間たちとの楽しい一日はあっという間に、私の歩数計は一万歩を達成していた。皆さん、本当にありがとう。
("筆無精?"の関口さん、レポート提出第一号でしたよ町田市民 関口紀江)

=懐かしい仲間と御岳渓谷をのんびりと散策=

 懐かしいみなさんと久方ぶりに再開、中村法経さんの元気さにびっくり、夕食懇親。。酒も食事も味しく楽しい2日間でした。塚越さんからは東京医労連結成当時の貴重な話が聞けました。御岳神社・本殿にも行きましたがなかなか立派でした。ハイキング−多摩川の流れと川べりの花や緑を楽しみ、沢井近くでは学生さんたちのシーカヤックに遭遇、元気なかけ声も面白かった。最初は御岳橋を渡ってまずは玉堂美術館を見学。川合玉堂15歳の写生から84歳の絶筆まで展示されていた。しかしより興味を引いたのは石庭の線引きでした。一人のおじさんが一心不乱に、竹ぼうきで直線を引き、そのあと石の囲りに波のような線を引き終わり、忍者のごとく足跡も残さず立ち去ったのは感心しました。みんなとペチャクチャしゃべりなから1時間ほどの川沿いを散策。到着した「澤の井園」ではまたぞろ地ビールと酒を飲み交わし、おしゃべりの続きをしてしまった。懐かしい仲間との2日間を十分楽しみました。
(全医労 嘉部廣司)

="懐かしい皆様との再開、
        あっという間に時が過ぎました"=

 医労連関係の集まりには20余年ぶりに参加させていただきました。数人の親しかった人を除いてはお名前がすぐに思いだせないほどになっていましたが、懐かしい方々のお迎えを受けました。田中さんの報告は、闘いの誇りと歴史がぎっしりとつまっていて感動しました。私は50年前の青春時代を思いだしながら、お互いに良く頑張ってきたと、当時をかしみながら、楽しい時間を過ごしました。翌早朝の御獄神社の散歩〜渓谷のハイキング(玉堂美術館、楽しい昼食)も、皆さんとおしゃべりしているうちに、あっという間に時間が過ぎて、本当に楽しい2日間でした。思いがけない事(重野さんと主人が知り合いだった)もありました。元気で、又みなさんとお会いしたいと思います。ありがとうございました。
(元 済生会中央・渡辺キヌ子)

<重野談>
 渡辺さんは、関口さんとは福岡・久留米看学の同級生。ご主人はベトナム戦争当時(1960年代後半)、東京アジア・アフリカ連帯委員会の事務局長。私はゼミが「世界政治」(アジア・アフリカ問題)だっこともあり、法政大学で学生班に所属。大学の近くにあった古い木造2階建ての狭い事務所に通い、いろいろ教えていただきました。キヌ子さんに連絡したところ、電話の向こうから40年ぶりの懐かしい声が聞こえて来て大変ビックリした次第です。
(事務局・重野)

     ="感動と感謝"のOB会でした=

 この度はOB会幹事の皆様、山荘の皆様、大変お世話になりました。かって若き日、長男をつれて夏季労働学校に参加したことが懐かしく思い出されました。参加された皆様がそれぞれの地で現役並に頑張っておられるのに感動しています。そして労働学校がいま43回目を実施しておられることに尚々感動です。医療や介護の改悪、後期高齢者の問題等々、まだまだやらなければならないことがたくさんあります。此処で学んだ貴重な教訓をこれからも生かして頑張りたいと思います。まっすぐ帰宅の予定が誘われるまま一駅分歩いてしまいました。川べりで咲き乱れる可憐な山野草、真紅の彼岸花や緑・・、故郷を思いだし乍らの一駅散歩でした。これからも生ある限り皆様の後を追いかけて参ります。又の日を楽しみに、ありがとうございました。
(白十字村山 渡辺寿賀代)

  =OB会総会〜ハイキング、
       なにもかも良かった!
             少し若返れたかな?=

 御獄駅前のバスを待っていたら、山の方から一杯のお客を乗せてバスが到着。降りて来る客の中から「加藤さ〜ん」の声がして、見ると厚生荘労組の現委員長・吉田さんだ。吉田さんは「OB会でしょ」「がんばろうね!」と、肩をたたいて声を交わし手を振って別れた。現役後輩組の元気な笑顔がにぎやかに駅に向かう。私は皆の降りたバスに乗り山に向かう。東京医労連恒例の2泊3日の労働学校−参加した頃のあれこれを思いだし懐かしい。バスの終点からケーブルの滝本駅への上り坂は距離は短いが大変きつい。ケーブルは急勾配で御岳山駅へ。前川さんが迎えて呉れて一緒に昇った坂内さんと二人は歩き、私は送迎車で山荘へ。この日の朝、私は義兄がなくなりOB会へは遅れて参加。総会は中村法経さんの「看護体験」から聞くことが出来た。田中千恵子さんの話しはいつもながら小気味が良い。「看護闘争のその後」と題して………のスライドと話しは戦後医療労働運動そのもの−私も参加していた60年病院ストから看護婦確保法の闘いに加え、その後はどうなっているの?と、興味深々だったが厳しい中で現役の皆さんが頑張っていることが分かって大変良かった(中略)。御岳渓谷のハイキングは最高だった、また歩きたい。寒山寺の少し先の櫛かんざし美術館も良かった。多摩川の流れは清らかで、途中の萩や彼岸花も美しかった。何歳も若返った? 感じでした。そして、昨夜(9月25日)、厚生荘の吉田委員長から、9月30日の定期大会と合わせた労組創立50周年の集いへのお誘いがあった。喜んで参加しますと返事した。現役の人達と一緒に、何か頑張れることがあると良いなあ〜と思っています。
(多摩一般、厚生荘労組・加藤弘子)

   =感動と嬉しさが一杯のOB会、
          体力にも少し自信がつきました=

 昨年6月で病院を退職し、「24時間が自分の時間」という現役時代には味わえなかった解放された感覚が嬉しくて、すっかりノンビリ生活を満喫し、その余裕が良かったのか、退職前に発病したリウマチも日常生活にはほとんど影響ないほどに改善しました。友人や身の回りの人が山行を楽しんでいるのをいつも横目で羨ましく眺めていたが、今回の案内を見た時、私の脚でも行けるかもしれないと思い、迷わず参加を決めました。御岳駅では、何十年振りかで渡辺キヌ子さんにお会いできたし、山路や木々の間から薄い雲のなかの山々を眺めて標高を確かめたりとウキウキした気分でした。良いことが沢山ありそう!。山荘に到着されるOB会の皆さんがゆったりと柔和な表情で、中でも青森から遥々来られた中村法経さんは「やさしそうな、どこのおじさんかしら?」と最初、気が付かずよくよく見れば中村さん!と大変失礼をしました。現役時代は闘いの厳しさ、活動の大変さが表情にも出ていたということだったのですね。
 女性の方々は、現役を退かれてもその後も第2、第3のステップで、何かしらの現場を持って活動されているようで、粘りとしなやかさを感じました。それにつけても日本医労連委員長の重責を担っている千恵子さんが、重いPCを山上まで、細い肩に背負って持って来てくださったのには申し訳ないなあと感謝・感謝です。2日目は、まず早朝の御岳神社への散策で、朝もやの向こうに見える日の出山、坂道に咲く「トリカブト」や萩の花、鳥のさえずり、栗の実に心癒された。不安がないでもなかった多摩川のハイキングでは、彼岸花の朱色、若者達のボート・川下りを楽しみ、「ままごとや」のお向かいの茶店で飲んだ地ビールの不思議な味、愉快なお喋り・・。上り電車から一人二人と降りて、また元の生活に戻って行きましたが、皆さんお元気で、また来年の総会でお会いしましょうねと、楽しさ懐かしさギッシリの長くて短い二日間を心にしまいました。
(日赤医療センター・高田京子)